ありきたりな言葉たちの行く末。

僕の言葉は誰にたどり着くのか。

休止理由。

ネットゲームっていうのは
リアルを介さずとも人との触れ合いが出来る、
ある意味でいいゲームだと思うのです。


全く面識が無かった人とも一緒に話せて
もし、その世界が上手く作られていたら
相手との[場の共有]がホントウに成立しているかのように
感じることが出来ます。


ただ、あくまでゲームなのです。


そのゲームを通じて、リアルに支障をきたすことなく
ストレスの緩和や、リラックスした時間が持てるなら
そのゲームをやる意味を、僕は見出せます。

ただ、惰性でやっているだけなら、
ゲームはやめるべきなんじゃないかな、と思うのです。
ネットゲームは人との繋がりがあるという点から
自分の行為が他の人に影響を与えることが多くなります。
なので、予定調和の世界、これまでと同様の振る舞いを
続けていこう、という考えが多くなるのだと思います。
「自分がゲームをやめる」と、何が崩れるか分からない。


日本人はアクシデントに弱い。臨機応変な行動が苦手。
という話をよく聞きます。
暴力を振るう夫と離婚ができぬ妻。
昔からの経営方針に囚われ発展しない企業。
今まで過ごしてきた道から逸れることを人は恐れます。

予想しうる世界の方が、安定した不幸の方が、
予想できない不幸からの脱却よりは
安心できる…と。


今、上げたのは話の流れを持っていきやすいように書いた
惰性の、悪い例ではありますが、
僕は惰性でゲームを続けたくは無いのです。

そこに意味があるからこそ、
そのネットゲームをやっていて楽しめるからこそ
ROを続けている、、というのを確認したいな、と。


やりたくなったら戻ろう、
惰性でないのが分かったら戻ろう、
そんな感じです。


それの確認をしたいがための休止なのです。

ま、このまま引退するかもしれませんが(笑