ありきたりな言葉たちの行く末。

僕の言葉は誰にたどり着くのか。

2013-01-01から1年間の記事一覧

何かを忘れようと死に物狂いで生きても心は虚しい

死ぬことが決まった、生きることを望む者にかけるべき言葉は何だろうか。 その事実に目をつぶり、生きることを頑張ろうという応援か 死の宣告と、後悔の無い『これから』の模索をしようという慰めか 果たして後者で、彼に『これから』を考えられるだろうか …

自分の心の弱さで泣きたくなる。 心のどこかで奇跡が起こるのを願いながら 頭のどこかで諦めている。 この涙は諦めの涙か…。 どうすべきか、なんて答えはない。 どうあるべきか、なんて分からない。 現実なんか理解も出来ない。 それでも明日はやってくる。 …

考えたくない

『それから』を考えたくない 考えられない これも1つの選択か いずれ訪れるその時を、 僕たちは何も知らないかのように 今、笑いあっている 大事なのは『今』で 『それから』にはなり得ないのではと そんな恐怖から逃げるように 今笑いあえている幸せで立ち…

器の話。

胃がまるまる無くなっても人は生きていけるのか? 3大欲求などというものを誰が規定したのかは分からないが 確かに食は欲で、満たしたいものである。きっと食は喜びだ。 それは何故か。 飢えるからだろうか。 飢えるから満たされて、それが喜びなのだ。 では…

ゆめものがたり。

ままならないなぁ。 キレイゴトは建前で現実は腐ってる。 それでも僕はキレイゴトが好きだし、 もし叶うのならキレイゴトだけのセカイに居たいよ。 でもそんなのありえない。 誰も死ななきゃ良いし、 みんなが幸せな気持ちにあれば良いと思うし 独りでも満た…