ありきたりな言葉たちの行く末。

僕の言葉は誰にたどり着くのか。

不安。


最近不安になり始めてきたコトが1つある。
『なり始めてきた』、というのは僕が昔から行ってきた
ある行為に関することだからだ。


小学生〜中学生のころ、僕は別に体が弱かったと言うわけではないが
毎年冬に1度だけ、風邪を引いていた。
原因はある程度想像がついていた。


お風呂上りの『湯冷め』である。


中学3年生の夏休みに、ふと思った。
『受験もあるし今年は風邪を引くとまずいなぁ」
『お風呂上りにお湯が体表にあるから湯冷めするんだよね』
『そうだ!お風呂を上がる前に水を浴びればいいんだ!』
『いきなり冬に水を浴びると体に毒だろうから
夏から水を浴びる習慣を持とう。
生物には慣れる力があるから*1ダイジョブだろう。』


と言う考えに至り、風呂上りに水を浴びる習慣をつけた。
そしてその年は風邪を引くことも無く、
僕はこの考えが正しいと思い込んだ。


今もお風呂上りに水を浴び続けている。


最近、ふと、とある話を思い出した。
『慣れ』に関するモノで
「熱湯に蛙を入れると驚いて逃げ出すが
水に蛙を入れ、徐々に熱していくと茹っていることに気づかず
そのまま死んでしまう」
という話*2である。


考えてみたら当たり前である。
「感覚は慣れるが、身体能力には限界がある」ということ。
僕は今まで水を浴びてきたし、これからも浴び続けると思う。
ただ、これはホントに体にとって良いことなのだろうか。


もしかしたら、体が許容できない温度刺激によって
悪い影響を与えたりするのではないだろうか


最近、少し不安に思うのである。

*1:知ってる人がいるかは知らないが当時エヴァというアニメが流行っておりそこで人間の慣れる力って素晴らしいわねーという発言があったのだ。

*2:この話は人間が悪い徐々に慣れていって身を滅ぼしてしまうという、教訓を示すために書いてあったのだが