ありきたりな言葉たちの行く末。

僕の言葉は誰にたどり着くのか。

時は流れて

時は流れて涙も乾き、昨日も
明日も、少し見えるようになってきた。


…今から1年ほど前、父が入院した。胃癌だった。
絶対助かるんだと思っていたけど、
4月下旬に手術不可と分かり、
5月上旬に余命3ヶ月と宣告されて…亡くなった。


父は花が好きで、毎週毎週、見舞いに行く際に
花の写真を送ったりしていた。
8月ごろに地元で花火大会があって、
それを皆で見たいねってそういう話をしていた。


花火大会は父と一緒に見れたが
その後一週間と経たず、父は亡くなった。
多分、父は頑張ったのだろう。花火大会を目標に。


皆で花火を見て、関西に帰る時に、父との別れを悟った。
これが最期なんだと思った。


父が亡くなる日の朝、電話で話をした。
その頃には父は長く眠るようになっており、
あまり意識が戻らなかった。
その日の朝、父の意識が戻った時に、
母が、最期かもしれないと繋げてくれたのだった。


僕は、ずっと言えていなかったお礼を言った。
育ててくれてありがとう。僕の前に居てくれてありがとう。
僕が尊敬する唯一人が父であるということを、最後の最後で伝えられた。
もっと早く言えばよかった。でも、伝えられて良かった。


父も、ありがとう、と返してくれた。


その後、会社に休みを貰って病院に行き、父の死に目を看取った。
僕がついたのと、ほぼ同時に、亡くなった。僕がつくまで待っててくれた。
僕のこと見えたかな。声届いたかな。
もう分からないけど、きっと見えたと信じてる。届いたと信じてる。


『僕は、僕たちは、大丈夫だから、安心して。』


あの時僕はそう言ったんだ。


今年の花も綺麗だよ、お父さん。
僕も変わらず頑張るからね。きっと大丈夫。


3月−隨心院にて