ありきたりな言葉たちの行く末。

僕の言葉は誰にたどり着くのか。

感情

もっと彩りのある感情を、自分に、欲しかった。


多分だけど、大事なのは心の言語化だったんだと思う。
多感な時に、自分の心をもっと言葉にして
自分に定着させておけばよかった。


そうすれば心の機微に気づけるようになってたんじゃないか。


今はもう、心の動きが鈍感で
自分が何を感じているのか、
自分じゃよくわからないよ。


感情は余りに見えなさ過ぎて、形が無くて
そういったものに形を与える役割が
きっと言葉にあるんだろう。


そして言葉と感情のつながりがちゃんとあれば、
その感情がちゃんと見えなくても
きっとこの言葉の感情と、思い起こすことができる。


気づくのが遅かったなぁ。
僕は今何を感じているんだろう。