ありきたりな言葉たちの行く末。

僕の言葉は誰にたどり着くのか。

食事をする。
味がある。
判別して取り込む。
消化吸収される。


呼吸をする。
匂いがある。
判別して取り込む。
酸素交換される。


そうだ。
五感には機能がある。
意識した動作の
結果を感じる。
これから意識が取捨選択して
無意識下の処理へ送る。
その実動の最初の情報を得ること。


五感は意識の中にある。
これを意識することが意識の役割。


我々の体は元々は無意識だった。
意識により生じる『我』という存在など
元々はなかったのだ。


五感により得た情報を
統合、簡略化し
取捨選択して
無意識下の処理へ。


『我』が深淵より覗いた
簡略化し、取捨選択する処理が
意識となっているにすぎない。


無意識下の処理は結果の情報のみ『感じ』、
そこから是非をまた意識する。


我々は『意識』すべき情報を
『無意識』下の処理で決定されている。
要は『無意識』の奴隷である。


『意識』すなわち『我』は
『無意識』下の処理に適した情報に
『加工する』という役割を『無意識』に
与えられているだけである。