ありきたりな言葉たちの行く末。

僕の言葉は誰にたどり着くのか。

能力を理解するということ.

生活をしていて大事だと思うことに
何に何が出来るのか,その能力を理解することがある.
それが十分に出来ていないからこそ大事だと思うのかもしれないが.


運動学で何が求まるとか,プログラムで何が出来るとか
DSPICは何をやっているとか,機能を理解しておくことで
目的から手段に帰結する.


それは人と関わる時も同じなのだろう.
僕に何が出来て,彼に何が出来て,
何かをするためには何が必要になるのか.
何を誰に頼れば良いのか.誰に何を頼れば良いのか.等々.


例えば新聞記事をにぎわせている現象を引き起こした人は何が出来たのか.
例えば我々のネットワークシステムではどのような問題が生じうるのか.
例えば我々の国に何が出来るのか.等々.


そのようなことを『理解』した上での行動が重要なのだろう.
我々は所詮人間なのだから,完全などはありえない.
この世は所詮現実なのだから理想などはありえない.
我々は完全を,理想を目指すべきであるのかもしれないが
過度な要求はしてはいけない,過剰な反応はするべきではない.
それは現実から目をそらすことになる.


さらに大事なのは,
我々がそのようなことを『理解』することが出来うるのか,を
我々は自身で理解する必要があるということなのだが.
はて,このパラドックスは解けるのだろうか(笑


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