ありきたりな言葉たちの行く末。

僕の言葉は誰にたどり着くのか。

拡がる虚ろ

声は僕の一部かな


ピアノは私の一部でしょうか
ではピアノが奏でる音色はどうでしょうね
これもきっと私の一部かな


ふと思う
では…バットは、スパイクは、自転車は、ボールは、…
キーボードは、マウスカーソルは、ゲームのキャラクターは
軍隊は、民衆は、自然現象は…
誰かの一部足りえるだろうか…と


…足りえるのだろうな
道具は手足の延長で、動かす意図の通りに動く
認識のされかたと意志の伝達方法に違いがあるに過ぎない


逆に考えるならば俺の手は敢えて『俺の手』である必要はないと言える
表皮と神経系の連続性により特別視されるが手も体も
『俺』の単なる道具に過ぎない
臓器もそうだ
心臓はただ状態に合わせて血液を循環させればそれで良い
…脳も同じだろう
『俺』という自我を投影してれば良いのだ


俺という存在は
俺という領域は
どこまでも拡がる可能性をひめつつも
確かな『俺』というものがない
そんな虚ろなモノなのだ